「なるようになる」という言葉がある。
だいたい、私はそういう気分だ。
そもそも、なるようにならない、という方が言葉としてはおかしいだろう。
ただ、それでも、自分が思うようになってほしい、ということはある。
それは傲慢ではあるが、人間らしくもある。
「機械学習」といいつつも、実は機械的じゃない部分があるのではないか?、何か見えざる何者かの手が入っているのではないのか?という不安は、あまり無視できないのかもしれない。
八百万の神、みたいな概念ではなく、一神教、あるいは数の限れた多神教の考え方からするとよろしくないかもしれないので、「シンクタンク」みたいな表現の方が良いのかもしれない。
表現方法は大事だと思う。
さて、深層かどうかは置くとして、機械学習には「学習」という期間が必要になる。
学習しながら間違いを探す、というのはできないと思う。
間違って、教えてもらう、というだけだ。
自分で間違っていることがわからないからだ。
そういうわけで、深層学習においても学習の過程は大切なのだ。
今回読んでいる記事では、ゴッホ風の絵に変換するという作業に対しては新しく学習を行っていない、とある。
読んでいった感じからすると、絵の特徴を残して、それ以外の要素をなるべくそぎ落とし、そぎ落とした部分に他の絵画の特徴を付け加えることによって「○○風」という特徴を出そうとしている、と私は読んだ。
記事としては「○○風」を出すところがメインのようだけど、私としてはその手前までの過程が気になっている、というのがこの3回までの趣旨だ。
元になっているのは、④のデータだと思う。
記事の真ん中くらいにある、ネコさんだ。
特徴だけ、というわりには、かなり最初のイメージが残りすぎている気がするが、おそらくそれは、目的が「ゴッホ風の絵にする」だからだと思う。
というよりも、3x3のフィルタをちょこちょこ掛けても、そんなに元の画像から変わらないんじゃないかと思うのだ。
元のPDFの目的まではわからないのだけど、この画風変更のお話からすると、元の画像の特徴がきれいさっぱりなくなっていると意味がないので、わざと残しているのではないかと思ったのだ。
だからこそ、フィルタってどういう風に作っているのだろう、が気になるのである。
どういう画像にも合うフィルタを作るアルゴリズムがあるのなら、そっちの方がすごいと思うのだ。
この辺りは、日本語記事の「おわりに」の辺りにも書かれている。
まだ、アプローチの段階なのだ。
楽しいところではないか。
私個人としては、こういうところに自分なりの解法を見つけて、他の人に「どういう式なのか意味はさっぱりわからないけど、確かにこれでうまくいってしまう」みたいなものを見つけたいと思っているのだ。
そういうささやかな夢を楽しみたいものである。。。
ときれいに締めたいのだが、フィルタの選び方についてはわからんままなので、、わかったら記事にしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントありがとうございます。
スパムかもしれない、と私が思ったら、
申し訳ないですが勝手に削除することもあります。
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。